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🌸 新春白拍子お披露目 🌸
新年白星亮相

年のはじめに祈りを込めて☆  旧正月のお正月に!横浜中華街で賑やかに! ※中国語でもうたいます。

因为新冠病毒的侵袭,很多的人离开了这个世界。让我们回顾历史上为了驱赶疫情而进行的宗教祭奠。其实祭奠真正的目的并不在于治退疫情,而是要用祭奠的形式,虔诚传达我们的意愿让疫情赶快离开。面临疫情,所以我创作了诗、歌、舞。并且邀请中国的书法家一了老师为我的诗一展墨宝。同时,我还和一了老师共同录制的影像视频。此视频作为东京都艺术文化活动支援事业举办的“ 声援美术,东京项目”的作品上传到各大视频网站,受到大众的好评并成了收视亮点。(中国語翻訳協力:番沢理子)

たくさんの人が新型コロナで亡くなっている。災厄退散を願う祭祀の歴史を振り返ると、祭祀の目的は疫病を退治するのではなく、そっと「お帰りください」となだめるような思いできたことが分かる。そこで私は、詩、歌、舞を創作し、中国の書家一了に詩を書いてもらった。一了とのコラボレーションした映像作品は東京都の芸術文化活動支援事業「アートにエールを!東京プロジェクト」の参加作品として動画にアップし、人気を博し注目を集めている。

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プログラムについて

・「蓬莱山」

・「电晕(コロナ)送別歌」 作詞・作曲:桜井真樹子 中国語訳:韓冰

・「月影之川(つきかげのかわ)」Johnny Mercer “Moon river”より 

      作詞・作曲:桜井真樹子 中国語訳・発音指導:蕭  振豪

・「水猿曲(みずのえんきょく)」

・「獅子破」

・「牡丹汗」

 

「蓬莱山」

 「山海経」には「蓬莱山は海中にあり大人の市は海中にあり」と書かれています。

 蓬莱山には、不老不死の仙人が住むと言われています。さらに天人天女が、王が栄えるようにと歌い舞った光景を、白拍子が歌い舞いました。

 山東半島のはるか東にあるとされた蓬莱山。位置から言うと日本です。徐福は秦の始皇帝に不老不死の薬を蓬莱山に行って探すよう命令しました。徐福が日本にやってきたと言う伝説の地は、日本に20ヶ所以上あります。

 長い繁栄を祈って歌い舞う曲で、古代日本では、一月の最初の満月(十五夜)に、同じ内容の曲である「踏歌」が宮廷で歌い舞われました。

 

<歌詞>

 ヤ蓬莱山には ヤ千歳経(ふ)る 万歳千秋(ばんぜいせんしう)重なれり

 松の枝には鶴巣くひ 巌(いはほ)がそばには ヤ亀遊ぶ

<意味>

 蓬莱山には、すでに千年の月日が経っています。万年も、そして千回の秋が重なっています。松の枝には、千年の齢を保つと言われる鶴が巣を作っています。巌(小石が千年をかけて大きな岩のようになる)の上には、万年の齢を保つと言われている亀が遊んでいます。

 

 

 

「电晕(コロナ)送別歌」

作詞・作曲:桜井真樹子

中国語訳:韓冰

 

<歌詞(日本の音読みにした中国語)>

出水蓮華兮 不浸泥污 

端容静坐兮 慈悲我佛

赐我清净水兮 清净如佛心

清我身兮 净我心

<意味>

泥水に浸らない蓮華の上に仏さまは静かに座っておられます。

仏さまの清らかなお心の如く、清らかな水を私たちにお与えください。

身も心も清めます。

 

<歌詞(中国語)>

湖畔小舟兮 离岸远行

君将远行兮 涓露入海

海不拒涓露兮 舟已没入

湖畔小鹭兮 振翅飞

<意味>

湖畔に佇む小舟は、静かに岸部を離れて行きます。

あなたは静かに大海に向かいました。

涓露さえ拒むことない世界に。

小舟は消え入り、湖畔に小鷺は羽を広げます。

 

<歌詞(日本語)>

湖畔に佇(たたず)む 小(ち)さき舟

しづかに沖より 離(か)れ行(ゆ)かん

きみの向こふ 無辺(むへん)の海は

涓露(けんろ)も 否(いな)まず

舟消えいりて 広げし鷺(さぎ)の羽(は) しづかに映(うつ)ろひぬ

 

 2019年の12月に新型コロナウィルスの感染が中国武漢市で発生しました。中国の著名な作家で、武漢市在住の方方(ファンファン)が、武漢市が封鎖された2020年1月25日から毎日60日間、近況をブログにアップしているのを、世界中の中国語の読める人々が固唾を飲んで毎晩読んでいました。私は、日本語の翻訳版「武漢日記」が出版されたのを読みました。その凄まじい緊迫感は鮮明に心に残るものでした。

 日本には御霊信仰(ごりょうしんこう)という考え方があります。怨みを持って死んだり、非業の死を遂げたものが「怨霊」となり、それが祟りとなって天変地異、疫病をもたらすと。だから彼らの霊を畏怖し鎮めるために神として崇める。菅原道真が「天神さま」となったのもその一つです。疫病も疫病神として祀り、祇園信仰へと繋がってゆきます。

 「刃向かってはいけません」と日本の信仰の歴史は言っています。「では、手厚くもてなし、舟に乗って頂き、お別れをしましょう」という歌が「电晕(コロナ)送別歌」です。

 中国には多くの優れた送別歌があります。李白の「送友人(友人を送る)」のような情景を思い浮かべつつ、舟に乗った电晕(コロナ)さんを見送る歌を作りました。

新型コロナウィルスの中国語は「新冠病毒」ですが、当時私はただ「コロナ」で中国語にGoogle翻訳してしまったので、太陽の輪の外側に光る「电晕(コロナ)」と出てきました。

 

 

「月影之川(つきかげのかわ)」 

Johnny Mercer “Moon river”より

作詞・作曲:桜井真樹子

中国語訳・発音指導:蕭  振豪

 

<歌詞(8世紀の中国語)>

皓月滿中川。(Moon river,)

關山千萬里。(wider than a mile)

與君漫浪遊,(Wherever you're goin', I'm goin' your way)

風物歷可紀。(There's such a lot of world to see)

恩遇志每傾,(Two drifters, off to see the world)

時命心何委。(Oh, dream maker, you heart breaker)

會當橫渡去,(I'm crossing you in style some day)

相期青虹裏。(We're after the same rainbow's end, )

尚友古達賢,(waitin' 'round the bend)

返真逸恆軌。(My huckleberry friend)

流光幾照我,

悠悠送川水。(moon river, and me)

 

<歌詞(日本語)>

果てしなく光り揺らぎ

われ、いつか、きみを高知(たかしら)して渡らん。

夢の流れは絶えずして、心はきみに流れゆく

きみ、いずこに流るれど、共にゆかん。

ふたりは、流れゆきしもの

無辺の世を探しゆかん

世は果てしなく、ようようなるゆへに

われらは見んとす。

われらは共に虹の渡されし先

曲がり下りし彼の地に待ちたるは

竹馬の友、月影之川、われなり。

 

 ジョニー・マーサが作詞をした「ムーン・リバー」は、「川に月が映っている」と言う曲です。

 日本の天台宗の僧侶、円仁(794〜864)は、遣唐使として中国に留学し、五台山や、赤山法華院で中国の密教の法要で唱えられる教典の中の讃歌に節をつけた「声明」を学び、日本に伝えました。

声明の研鑽者として、英語で書かれた歌詞を8世紀の中国語の発音に置き換えて、円仁(794〜864)が声明を唱えた時のような曲を作ろうと思いました。

幸いにも、私の声明の生徒に8世紀の中国語の音韻学の偉大なる学者、蕭振豪(Siu Chon ho)先生がいます。彼に「ムーンリバー」を8世紀(唐代)の中国語発音に翻訳してもらいました。

最初に「ムーン・リバー」を8世紀の中国語で歌い、そのあとで、日本語の古語で歌います。

 

 

「水猿曲(みずのえんきょく)」

<歌詞>

水のすぐれておぼゆるは、西天竺(さいてんじく)の白露地(はくろち)

尽浄許由(しむしょうこゆ)に 澄みわたる

昆明池(こんめいち)の水の色 行く末久しく澄むとかや

賢人の釣りを垂れしは 巌陵瀬(げんりょうらい)の河の水

月影ながら洩るなるは 山田の筧の水とかや 

蘆の下葉を閉ずるは 三島入江の氷水

春立つ空の若水は 汲むとも汲むとも 尽きもせじ尽きもせじ

<意味>

優れている水として忘れられないのをあげていくと、まずは、西の彼方からは天竺(てんじく)の白露池(はくろち)。これは清らかに静かにたたずんでいる。

昆明池(こんめいち)の水の色は、いつまでも永遠に澄むという。

厳光(げんこう)という賢人は釣りの糸を垂れているのは、厳陵瀬(げんりょうらい)で、そこの河の水も優れている。

月影が洩れて見えているのは、山田の筧(かけい)であるとか。

葦(あし)の下葉を閉ざしているのは、三島入江の氷水のせいだ。それが春になると、空の下の若水は、汲んでも汲んでも尽きることがありません。

 

 白拍子の代表曲と言われています。

 水猿曲は、水の優れているところを、日本のはるか遠くの国から次々と歌い上げて、水の力の優れている様を褒め称えてゆきます。

 まずは西天竺の白鷺池(はくろち)。当時の天竺は、玄奘三蔵が教典を取りに行ったナーランダ僧院(ブッダガヤの北東)よりもさらに西。世界の果てにある池ですよ、と遥かな地に思いを寄せます。

次が雲南省の首都になる昆明池(こんめいち)。これは中国の果てという感じです。

厳陵瀬(げんりょうらい)は浙江省(せっこうしょう)杭州(こうしゅう)、中国の東、日本に最も近い中国です。そこには厳光(B.C.39〜A.D.41)が、中央政権から官僚の誘いを受けても、権力抗争に身を置きたくはないと、日々、釣りの糸を垂れていた池です。

 そして山田の筧の水。京都府与謝野郡にあった山田村。現在は与謝野町と呼ばれています。垂仁記によれば、律令制以前の丹羽国造(にわのくにつくり)の王には五人の姉妹がいました。出雲勢力下であった彼女たちは、人質として垂仁天皇(B.C.29〜A.D.70)の愛人として捧げられました。しかし5番目の妹、竹野媛(たけのひめ)は、容姿も優れないので国に戻されます。それを恥じ憂い、国に戻る途中の水に堕ち自殺します。伝説の中で、彼女は初めて水の中で死んだことにより、水の神となりました。竹野媛の名は地名によるものですが、彼女は迦具夜比売(かぐやひめ)とも呼ばれています。彼女は夜、水に映る月を見とめ、月の光に向かって水の中に身を進めていったのでしょう。白拍子として名を残した静(しずか)は、丹羽国(にわのくに)の出身で、この歌舞を得意としていました。

 この土地に、徐福伝説が多く残されています。秦の時代から600年経つと、丹羽国(現在の丹後半島)は稲作・農耕・鉄製品の加工・機織・酒造り・医療薬学など、海を越えて多くの技術が渡ってきたところと言われています。

 そして最後に三島入江。大阪府北摂津三島地域。桂川、宇治川、木津川が山崎地峡で合流して淀川となる場所。都を流れる川、それが一つのなる入江の水が絶えることは、決してないでしょうと、平安時代の都、京都の繁栄を歌い上げています。

「獅子破」「牡丹汗」

 大神惟季(おおがのこれすえ)の龍笛の譜「懐中譜」に、「獅子」と言う曲があります。

 獅子は、インドに生息するライオンの存在が中国に伝わり神獣となり、さらに日本にも伝わりました。

 日本には、7世紀ごろ雅楽による演劇「伎楽」として、獅子のパントマイムが行われました。獅子は暴れるのですが、牡丹の花では静かに眠ってしまうのです。獅子の体内に入り込む害虫が牡丹の花から滴る朝露で死ぬからと言う伝説もあります。

 今でも日本のお正月をお祝いするために獅子舞が家の角々舞われます。

 またヤクザの刺青といえば「唐獅子牡丹」。強いものと美しいものを描いた図案であり、強い神獣が身を守り、牡丹が強い自分を癒してくれるものと信じられています。

中国から伝えられた神獣「獅子」の演奏、そして牡丹の花の咲かないウィグルに伝えられた「牡丹汗」。共に伝説を歌いあげた遠い人々の曲で、新春のお祝いをします。

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